~虹の記憶と空色のルピナス~

◆◆自分を見つめていくための探求ブログ◆◆

緑の章 -次-

カテゴリが、虹の記憶集<完結>は、

自分表現の練習をしようと書き始めた記事でした。

 

好きな事、例えば、好きな音楽、好きな映画、好きな本・・

自分ではなく、自分の外側にある物を、こんこんと語っていくのは得意なのですが、

自分の事を書く(話す)、というのは、

本当に、ホントに、ずっと苦手な事なのでありました・・

 

自己紹介とか、プロフィールとか、

マジで何かいたらいいのか分からず・・・

当たり障りのない内容を、自分の上からかぶせていくような作業であり、

なんだか、嘘ではないけど、作っている気もして、(作ってるんだけど(笑))

その作業が苦で苦で仕方ありませんでした。

 

とは言え、

素の自分を書くとしても・・・

一体、何を書けばよいのやら・・・(;´∀`)

 

自己認知している自分より、

回りがどう認識しているのか?という回りの言葉を優先して、

自分というものの表現に使ってしまったりしているし、

そもそも、

自分は、自分の事を、どう認識しているのかも、

よく分かっていないし・・・

 

まぁ、とにもかくにも、

自分を表現することは、昔からすごく苦手であり、

嫌いな時間であったのです。

 

じゃあなんで、嫌いなのか・・という話になるねんけども・・・

 

社会に出てからはよく、

「自分が自分の事を好きな人の方が良い!」みたいな風潮があり、

じゃあ、私も、

「自分が自分の事を好き」という事にしよう!・・・までの決意はなかったですが、

特に何も思い浮かばないので、

まぁまぁ好きなんじゃないのかなーと、

何が好きなのか、特にイメージがないけれど、

ふわっと、思い込もうとしていました。

 

できる自分は好きなんよね。

私スゴイ!とか思えるし。

だから、自分が良い自分と思える自分は好きなんだけど・・

そこは日本人の悪い癖と言いますか・・・

「私ここ得意なんです!!!」

と大きな声でアピールはできず

(アピールしたら、全部こっちに仕事が回ってくる時もあるので)

自分の内にとじこめてしまい、

結局、

「こういう事をしてきてはいますが・・・そんなすごくもなく」

な感じで、終わってしまってたような気がします。

 

自分の事を好きなんであろう・・と思っていましたが、

自分の事を見るって、

すっごく嫌いなんだろうなぁ・・とか、

自分の事、そんなに好きじゃないんだろうなぁ・・・とか、

今の自分から思い返すと、

そう思うようになりました。

 

自分の事を好きだったら、

あんなに苦しい時間、苦しい場所に一年以上も自分を置いといたりしないもの。

自分より、周りの人達。

自分より、周りの人達。

 

周りの人たちが、話しかけてくれてるから、

ああ、自分はまだ大丈夫・・みたいな、周りの人たちが承認してくれなければ、

承認されなかった自分は、

見る価値もない・・と自分で蓋をしていたんだろうなぁと思います。

 

蓋をしてきたからこそ、

身体からそのサインがでてきたんだろうなぁと思います。

「もっと自分を見てくれよ」

「ここまでおかしくなってるんだよ」

「ここまでおかしくなってるのに、なんで我慢してるの」

 

身体のサインから思い浮かぶのは、そういう言葉です。

当時は、全然気づいておらず、

ただ身体が重く、無気力で、回りに何の希望も感じられず、

ただただふさぎ込むという感じでした。

 

神様大好きな私が・・・

お寺参りをする力もなく、

こんな自分がお参りしてはダメなんだ・・・とか、

自分がすごく汚くて汚れているもののように感じていました。

そして、

何の苦労もなく幸せに暮らしている人達を見ると、

勝手に差別を感じて、

自分がこんなにも毎日自分を殺して頑張って頑張って頑張っているのに、

文句を言って、人の事を考えもしないような人たちが、

何故にあんなにお金にも人間にも困らず生きているのか・・・

自分には、「何も良い事がない」という波動を身にまとって、

毎日を過ごしていました。

無論、身体は治ってはいません。

 

その後、

ここからスピリチュアルな話になっていくのですが・・・

 

見える人との出会いがきっかけで・・

私の心の中の声や、守護霊さんのアドバイスを教えていただき、

そのアドバイス通りに行動をしていく中で、

私も何かの声が聞こえるようになっていきました。

(見える人曰く、八百万の神様のおかげらしいです。)

 

あ、声だけに関して言うと、

よくお寺のそばで変な声は聞こえていたのですが・・

だいたいが否定形な言葉で、

私の思考なのかな・・・と、

そんなん考えたらダメ!だめ!と思っていたのですが、

それはどうやら、変な空気(あまり良くない場所)の時に聞こえていたみたいです。

当時は、そういう考えが浮かんでくる自分が悪いと思っていましたが・・(-_-;)

 

話を戻します。

 

そして・・

私の中で、いろんな私自身の声が上がってきたのです。

「あんなに頑張ってきたのに・・」

「これだけ傷つているのに・・」

とかとか、

 

そしてなんとー

私の事が好きっていう声も聞こえてきました。

 

この時の声は全部自分の中の声なのですが、

私にも、自分の事を好きな自分がいるんだ・・って、

だいぶ救われた思いがしました。

 

そしてこれが(私の事が好きっていう声)、

今だから言えるのですが、

私の男性性だったように思います。

 

長らく封印していた私の男性性が、ちょっと上がってきた状態でした。

 

生まれた時からずっと一緒にいた私の男性性は、

全然私(女性性)が気づいてくれないから、

悲しい思いをしている、との事でした・・。

 

ダメな自分でごめんなさい・・とも。

 

私は私の中で、

できない自分を、たくさん責めてきたんだな・・というのが

やっと実感として分かりました。

 

けれども!

どうやら私は、今までかなり無理をして自分を作って、

社会に合わせて、頑張ってきたんだなぁというのが分かり始めてきたのですが、

 

じゃあ、

どういう自分なら、社会で生きていけるのだろうか?

という疑問が出てきて、

 

今まで作ってきたけど、作るのをやめた自分では、

どこまでやっていけるのだろうか?

という疑問も出てきました。

 

そ・こ・で

作るのやめてみたんです。

 

私自身、男性性が強いと思っていたのですが・・

ここで言う、女性性、男性性は、世間一般に言われるものとはちょっと違っていて、

(それは別の章に書きます。)

私はどうも、

男性のように強くあらねばならない!と思い込み、

しっかりしなきゃと思い込み、

(赤の章~黄の章で、しっかりしようとした原動力について書いています)

頑張っていたのですが、

「しっかりした自分でいよう」ではなく、

 

「そのままでいこう!」

 

というスタンスで、やってみる事にしました。

 

つづく