虹の記憶と空色のルピナス

自由にいろいろ書いてます~

責められる理由

誰も見ないだろうという事で(笑)

自分のために、自分の本音を書いてみたいと思う。

私は今まで、誰かに対して、

こんなことされた!
こんなこと言われた!
酷い!

などなど、

言った事がほとんどなかった。

されたことがないのではなく

いきなりボールを顔に押し付けられて鼻血が出た事もあるし、
出会うたびに背中をドンッと叩かれた事もあるし、

容姿をからかわれた事もあるし、
自分の事を棚に上げて、それはないと思うわ~など、完全否定された事もあるし、

全く面識のない人から、わざわざ避けているのに追いかけてきて足を踏まれたり、

まー、いろいろされてきた事はあるけれど、

その度、

言葉で騒ぐ事もしなければ、誰かに相談する事も、しませんでした。

ただただ無視して、やり過ごしていました。


無視して、我慢してれば、それで終わるからです。

その方法しか、知らなかったからです。


だから、

私は、けっこうな事を無視して、我慢してやり過ごしているのに、

ほんのちょっとした事、

例えば、

バカにされた~とか、
ささいな事からの口喧嘩とか、
会ってくれない~とか、


そんなささいな事で、

爆弾を落とされたかのような反応をして騒いでいる人が、



超、苦手でした。



そんなことで?

そんなことで、ギャーギャー騒ぐんだ?

私、もっと酷い事されてるんだけどな・・・←口に出さない


でも、

私がされた事って、回りにはされた事ない人が多いんだよね・・・・(;´∀`)

そして、

された事がない人というのは、

自分がされた事がない事の話をされた時、

だいたい、無言になったり、返す言葉が見つからない感じになって、

沈黙になってしまう。


私は、それが、あんまり好きじゃなかったりする。

相手から聞いておきながら、黙られるって・・・・・
なんだかこっちが悪い事してる感じになってしまう。


だから、笑い話風に言ってしまったりする。

そして、結局、、誰も分かってくれないのね、、、ってなってしまう。


そんな自分が作られていた。


私にとって、一番しんどい人、苦手な人、近づきたくない人は、

ほんのささいな事でギャーギャー騒ぎ立てる人、
決め付けてくる人、
理屈で責め立てたり、正論で相手をコントローしようとしてくる人。


はっきり言って、面倒です。

自分がしてきた事、自分がしてきた事が相手にどういう風な思いをさせているのかを考えもしないのに、自分がされた事は、鬼の首を取ったかのように、
正論を振りかざし、相手を責め立ててきます。

どれだけ、どれだけ、相手に我慢を強いているかも考えもせずに騒ぎ立てる。

自分はこれだけの事をされたから、自分には言う権利がある、
言われた相手が悪いのだから、考える必要もないという考えでしょう。

この人たちは、常に、どちらが悪いのか、何が悪いのかを考えています。
相手が悪いと思った事は、徹底的に追い詰めて、責め立てます。
なのに、自分が悪いと思った時は、謝らず、黙っています。
その態度も腹立たしく思います。
あれだけ、人を責め立てておきながら、謝らない。
相手に謝罪を強制しておきながら、謝らない。

そういう人たちは、無意識に

我慢する人、何も言わない人、自分を責めている人をターゲットにして、

コントロールしようとしてきます。

ほんの少し、自分が期待していた事と違う事をされただけで、
さも相手が悪いかのように、責め立てて、
相手が自分自身を責める性格をいいことに、
自分がされた事を、さも爆弾が落とされたかのような酷い事と表現して責め立てます。

その人にとっては、自分は常識的な態度をしており、
常識的な事をしない相手が悪いから、相手の事情なんておかまいなしです。


だから、


この状況を抜け出すには、



それは酷い事です。
私もこういう事されました。
我慢していたけど、あの時はああだったんです。


勇気を出して言うしかない。


今まで我慢してきた人は、

あなたにも、こんなひどい事されてきたんですよ、と伝えるのが苦手だったりする。

上下関係があって、上の人には何があっても従わないといけないという社会で生きてきた人にとっては、自分より立場が上の人に対して意見を言うのは、すごく勇気が必要だったりする。

何も、相手を責めようとする言葉でなくても、
私はこうなんですと、自分の事を言うのも、勇気が必要だったりするのです。


それは、親に対しても、そうだったかもしれない。


今思い返しても、

なんでできないの?
頭を使えよ、
考えたら分かるだろ、

という言葉は、説明するのが嫌なだけとしか思えません。

相手のためと、その人は言うけれど、

本当に相手のために説明をしないのなら、

考えたら分かるだろ、頭を使えよと、威圧的な態度をとったりしません。

相手のためという、キレイな言葉に流されてはいけません。

本当に、相手のためを思ってなのかどうか、見極める目を持つことが大切です。


自分自身を信じて、自分自身の目を鍛えるしかないのです。